産経新聞に掲載されていたニュースに、
うざったいこと、気持ち悪いこと、気持ち悪いといった状態を、
すべて「きもい」ですますのだそうです。
言葉は思考に結び付きます。
より本質をしると、言葉も複雑になっていきます。
しかし複雑は「細かい用途」に分かれて使わねばならず、面倒です。
だから多くの部分で共通する事柄があった場合、一言で済ませます。
でもこれは危ない方向です。
時と場合によって言葉を使い分ける
例えば神社でお参りするとします。
このとき「ありがとうございます」「いつも感謝をしております」
感謝する言葉が思いつか鳴ったとします。
それで「サンキュー」ですます。
さすがに「サンキューは違うんじゃないか?」
思う感性が必要であります。
しかし「いやいや、別にありがとうという気持ちをもって参拝するんだ。
サンキューだろうが、どうも、だろうがなんでもいいんじゃね」
その気持ちで何でもかんでも接すると、いざというところで恥をかきます。
恥をかいて勉強するならまだいい。
でも「あいつが間違っている、別にこれでいいじゃないか」
思い、勉強する機会を自ら放棄すると、また同じ間違いをする。
言葉と思考
見るという言葉一つをとっても、見る、観る、眺める……
いくつかあります。どれも「見る」に変わりない。
わからない場合は「見る」で片づければいいのです。
しかし、見るといっても「相手の本質を知る」場合、見るより観るが適切です。
この場合の「観る」は「観察」がもととなっています。
また、見るでもぼーっと見ているなら「眺める」という言葉を使うといい。
このように「みる」という一言でも「何を」「どう」扱うかによって、言葉の使い方は分かれます。
でも「見る」ですべてを済ませると、「何を」「どう」扱うかなど考えない。
すると、思考もより複雑に物事をとらえられないのです。
世の中は複雑である
世の中は複雑に動いています。
そして複雑な仕掛けや罠が用意されている。
彼らにとって「単純にしか考えられない」人たちは、まさにひっかけやすい。
複雑に考えると「疑う能力」を持ちます。
よって騙されにくい。騙されれば、あなたが築いたものをすべて奪われる。
そうならないよう、言葉に気を付けてみてください。